写真・文/岩瀬孝文 photo & Text by Yoshifumi Iwase
『津軽弁は忘れない』
藤元彩子(弘前工)
その昔、アルペン全日本チームの公用語は津軽弁であった。
それは青森県出身の選手が大勢をしめて、しかもコーチも青森県人。名門、東奥義塾スキー部が攻勢を誇り、そのOB選手達の多くが冬季五輪へ出場していたころの話である。
さすがに現在では、スキーの現場で津軽弁を操る選手は少なくなった。
少しばかりさみしさを覚えてしまうが、彗星のように現れたのが、中学生のときに秋田鹿角への遠征並びに地元金木町嘉瀬(現・五所川原市)でしっかりとトレーニングを積んできた藤元彩子(金木中→弘前工)だった。
もともと嘉瀬にある小さなジャンプ台で、五輪複合代表の古川純一コーチ(東奥義塾高→近大)から基礎を学び、そこから長身の才覚を活かしての全国デビューを果たし、国内試合では、しばしばひとけた入りをみせた。
「慣れてしまったのでそんなに遠くは感じません。五能線で弘前駅へ着いて、そこから自転車で高校まで20~30分走ることも結構、たのしいですよ」
高校は地元金木の選手が多く進む、津軽鉄道の駅近隣にあるスキー部がある五所川原農林高ではなく、五所川原駅から弘前駅へと通学している。そして弘前城の西側にある弘前工まで片道1時間余りを懸命に通う道を選択した。その弘前工には、早大スキー部OBである神谷監督がいたからである。
それも今季からは全日本女子チームの小川孝博コーチにスポット指導を受けて、いよいよ女子トップチーム入りへと気持ちが定まってきた。
「小川コーチからは、スタートからアプローチ、サッツにランディングまですべて学んでいます。いつもためになることばかりで、ありがたく思います」
ていねいな眼差しで実直に語る。
「いまのジャンプ、どんだったんず」とわざと津軽弁で聞いても、あっさりと「そうですね」と、かわされることにはもう慣れた。
そんなジョーク的なものよりも、つねに懸命に自分のジャンプを考えているのが垣間見えてくるのだ。
「ポイントを取りにいったヨーロッパ遠征でも、見ることが初めてのことばかりで、また、行きたい気持ちがあります」
そこで確実に同年代の欧州選手たちの挙動に刺激を受けてきたようだ。
今後はそれをどのように生かしていくかが課題となってくる。
彼女の根底には、青森の女子ジャンパーとしての誇りがある。地元の金木で小学生を教える古川純一コーチの熱心な指導が開花したいま、長身選手の藤元彩子はそのまま世界に視野と翼を広げていく。
「たんげ、いがったや、いまのジャンプ!」
そういう言葉をかけられる日も、そんなに遠くないような気がする。
2023/08/25(土)、札幌・大倉山でのサマージャンプラージヒル大会に出場した際の藤元彩子。