岩瀬孝文の View Point ⑪

写真・文/岩瀬孝文 photo & Text by Yoshifumi Iwase

 成田 楓(小坂町スキークラブ)
『奮起そして引退』

 なんとか膝を治してジャンプ台を飛び、勢いのまま飛べるだけ飛んで、その後は自分をしっかりと見つめ直したい。そういう切なる想いを込めて、抜群のジャンプで飛び抜けた前年12月の名寄ピヤシリだった。

膝のケガは数えること3回目、それもほぼ1シーズンのリハビリとトレーニングを経ての復帰だった。
秋田県小坂町から青森県弘前市にある弘前大学病院へ入院、痛めた膝の治療に集中していた。ただ着地後の転倒があり、その都度、膝は弱っていった。

しかし、楓さんは、必ず復帰すると心に誓い、白い雪の上に立つことを信じ、孤独に耐えてトレーニングを続けた。

 小坂から弘前まで幾度となく県境を越えて送り迎えをしていた父で長身の幸生さんは、地元小坂でジャンプを始めて、現在は競技役員を務めている。
楓さんも小坂高からインカレの雄、日大スキー部の一員に。学生時代の名寄では同僚の複合選手の声援のために、極寒に包まれる健康の森クロスカントリースキーコースをくまなく走り回っていた。

 また就職した鹿角アルパスでは、しばしばスポーツ施設の受付けのカウンターに立ち、仕事のかたわら選手や子供たちに声をかけて、元気づけたりしていた。
スキージャンプに対する万感の思いもあったのだろう。

膝のケガから復帰した冬の名寄では、高さあるジャンプで表彰台に立ち、その後の札幌宮の森と大倉山において、軽快なジャンプを見せていた。しかも歯を食いしばりながらではなく、時折、空中で一瞬微笑みをみせながら、ジャンプしていったことがあった。
そこでは『わたしはジャンプが大好きなんだ~』とのイメージが伝わってきた。

この1本にかけて、けれど力まずに大らかに遠くへ飛んでいきたい。それが楓さんなのだ。その先にスキーを雪面に置く時を意識しながら、ラストの伊藤杯ファイナルを迎えた。
3月中盤、最終の大倉山ジャンプは89mが2本で、第6位に入りホッとした表情をみせた。

現在は、鹿角シャンツェでジャンプコーチと競技運営役員として鹿角花輪エリアのジュニア選手らを強化育成、ジャンプ台整備の下働きにも進んで汗を流す毎日だ。

秋田県鹿角市へは秋田のみならず、青森県五所川原市(旧・金木町)と弘前市や岩手県八幡平市近辺などから、北東北三県合同となるトレーニングに訪れている。

どの選手たちも、現場で笑顔を振りまく楓さんに励まされに行っているようなもの。

そんな選手らに愛される良いコーチになりそうだな~楓さん。

ふと、長身な幸生さんとアルパス2階にある食堂で、あれこれとそういう風な話をしながら美味な味噌ラーメンを食べたくなってきた。


2024年3月、札幌・大倉山での引退試合での成田楓。これが現役ラストフライト。